無知のしたり顔

イチロー君が日米通算3,500安打を達成したのだとか。


が、あんまり本人は騒がれるのは本意でないようですが・・・。


とは言え、これだけの安打を打ち続けた、というのは大変な偉業であると私は思います。


Webにも彼を賞賛する書き込みがあちこちで見受けられますが、その中で、「彼の最大の功績は、パ・リーグの注目度を大幅に引き上げたこと」などと言う声も。


これを書いた人は、生涯にパ・リーグの試合を現場まで見に行ったことが全くないか、あっても片手で足りるくらいしか行って無いんでしょうね。


彼のお陰でパ・リーグの注目度が上がったってぇ?
だったら以下の事実を知っているんですかね?


・球場に来る人は切符を買うのではなく、招待券を貰ったから、という割合の方が多かった。


オリックス戦の人気はイチロー君のブレーク後せいぜい3年間程度だった。


イチロー君がチームを去ってから、オリックスの戦績と観客動員数が落ち込んだ。


パ・リーグ全体の観客動員数は(少なくともイチロー君が日本を去るまで)、大して変わらず、むしろ減った年もある。
 尚、1997年は観客動員数がいきなり前年より増えてますが、何のことはない、大阪ドームが完成による新しもの見たさ、という人たちが大勢いただけです。
 2004年の観客動員数増加は、球界再編問題で危機感を持って球場に来る人が増えたのと、日ハムの札幌移転御祝儀で増えたにすぎません。


大阪近鉄バファローズが消滅してしまった。


こんな事は大して調べなくても、現場に行ったり、パ・リーグに関心を持っている人であれば、当然常識レベルで知っている話。


無知も極まれり、よくぞこんな事がしたり顔で言えたもんです。


観客動員数の推移について、私の発言じゃ信用ならない、というなら、原典をご参照願いたいものです。


まぁ、この時代、両リーグとも観客動員数は、球団の人数水増しおよび必ず1,000人単位、挙げ句の果てには満員になると定員数以上の観客数、という消防法違反じゃないかと思うような人数発表をしてましたから、精度は当てになりませんが、まぁ一応の目安と言うことで。
明らかに観客が100人〜200人しかいないのに、「観客3,000人」なんて発表された事もありましたなぁ(笑)。
勿論こんな発言をする人は、こんな球団の大本営発表的な歴史的事実も知らないでしょうがね(爆)。


「注目度が上がる」というのは、現場に足を運ぶ人が増えるなり、球団にスポンサーが大勢つくなりして、球団やリーグに「金が落ちるようになる=リーグ自体の隆盛につながる」と言うことでなければ、「注目度が上がる」事にはなりませんよ。
パ・リーグの注目度が上がる事になったのなら、上に書いたような事実が起きるわけ無いでしょ?


例えば、大阪のくいだおれ人形はTVなどで全国的に取り上げられ、「注目度が上がり」ましたが、人形ばっかり有名になって、肝心の店は売り上げが伸びずに閉店してしまったのが、まさにその一例。


こんな中途半端な無知をさらけ出しているくらいですから、どうせイチロー君の大ブレーク後、パ・リーグ、特にオリックスがどのような道を辿ったのか判るわけ無いでしょうから、一応説明のために書いておくとしますか。


確かにイチロー君が大ブレークしたのは1994年(平成6年)6月頃からで、シーズン後半は確かに彼の姿を見ようと大勢の人が球場に集まりました。


元々オリックス戦は、本拠地でもビジターでも観客はまばらで、パ・リーグでも不人気カードの最たるもの。
それがイチロー君の大ブレークで急激にオリックスを応援するファンが増え、いわば「イチローバブル」の発生です。
それが相手チームの本拠地試合でも、彼の活躍を見たいと相手チームのファンも球場へ来るようになり、相乗効果で大勢の観客が各球場に集まるようになりました。


そして翌年の阪神・淡路大震災
イチロー君見たさと、「がんばろう神戸」で球団が復興のステータスシンボルとなり、チームの雰囲気も盛り上がり、シーズン優勝。
が、日本シリーズで敗退し、「来年こそは」という雪辱が、地域とチームのモチベーションを保ち続ける事になります。


翌年も球場には大勢の観客が詰めかけ、引き続き「人気のある」チームとして大声援を受けるようになりました。
その声に押されるように、オリックスは快進撃を続けてリーグ連覇、そして日本シリーズの相手は巨人、というこの上ないシチュエーションで4勝1敗と撃破し、ついに「がんばろう神戸」が頂点に立つことに相成ったのであります。


が、オリックスの観客動員快進撃もこの年を境に、下降線を辿っていくことになります。
日本一の目標を達成してしまったら、選手はともかく、観客は応援しきったと燃え尽きたのか、徐々に応援するファンも減り、イチロー君自身は例年と変わらず好成績を挙げていましたが、ブレーク後3年もたつと観客も飽きて、彼目当てで球場に来る人も少なくなり、彼自身も毎年首位打者のタイトルを独占し続けている現状に飽き足らなくなり、2000年シーズン限りでMLBへ移籍。


まぁ、多少譲って此処まではある程度知っている人も多いでしょうが。
で、その後のオリックスはどうなったか?


彼が抜けてからというもの、観客が減ったとは言っても、選手の中で一番注目を集めていた選手がいなくなったことで、戦力のみならず注目度はガタ落ち、翌2001年はそれでも4位になったものの、この年限りで仰木監督がチームを去り、翌年代わった石毛監督が大失敗で、5位に11ゲーム差をつけられる最下位独走、さらに2003年にはさらに負けが込み、4月に石毛監督解任されてもチームは浮上すらできず、またしても最下位独走、2004年は西武で優勝した伊原監督を呼んできても立て直しできず、球界再編、合併問題の当事者でもあって野球どころではなく、やっぱり最下位独走・・・。


これでまぁ、観客が球場に来てくれたものだと思います(オリックス相手なら勝つ、と踏んだ相手チームファンが来るようになったから?)。


確かにイチロー君の活躍していた時代よりは、パ・リーグに対する注目度は多少なりとも上がっているような感じはします。


が、それは彼の活躍によるお陰、と言うより、球界再編問題でパ・リーグが消滅する危機にさらされ、セ・リーグ側もその煽りを喰らいそうになってファンが騒ぎ始めたこと、そしてこの騒ぎで公然の秘密であった読売独裁の弊害が一気に世間に晒されることとなり、「読売一辺倒による支配」の世界がぐらついて、大多数の読売ファン、そして読売戦しか見たことのない野球ファン達の目が、他のチームへ向くようになったに過ぎないだけのことですよ。
まだ読売の独裁体制が完全に崩壊したわけでは無いですけどね。


偉そうにしたり顔で評論するなら、現場に足を運んで、これぐらいの事がきちんと理解できるようになってから言って貰いたいものですな。