20年前も、雨だった

今日は雨も降り出すし、寒かったですな。


最近、「今日は何の日」ネタが多いような気がしますが、丁度節目の年でもあるので、御容赦の程・・・・。


20年前のこの日、「大喪の礼」が行われた日であります。
その前の同年(昭和64年/1989年)1月7日、昭和天皇崩御し、その葬儀が行われました。


当日は朝から雨。非常に寒い日だったと記憶しています。
前年9月頃から、昭和天皇の容態が悪化する事に伴い、イベントの自粛状態が続いていましたが、この日は殆どの店舗や施設や会社が休業し、普段は人通りでにぎわう都心も、殆ど人がいなくてゴーストタウン状態でした。
そりゃ出かけたって仕事場も店も開いていなければ行く意味無いですからねぇ。しかも天気悪かったし。


当時、2月中盤〜後半は、私立大学の入試シーズンでありまして、「2月24日」を入学試験の日に決定していた学校はさあ大変。
日程は前年から決まっていて、勿論大喪の礼と日程が重なるなんて想定外の話。
かと言って日程を変更するとなると、他の学校と併願している人や、遠方から列車、飛行機、宿を取っている受験生が大損害を喰らってしまい、既に払い込まれた受験料の問題もあります。


と言う事で、今更日程を変えられない、との判断で、当初の予定通り2月24日に試験を行う事になった次第。
で、この学校は私が通っていた学校でして(^_^;;)、当時お世話になっていた先生が試験の責任者だったので、後日その時の話を聞いてみると、自宅にいろんな方から電話がかかってきて、「この日に開催するのは不謹慎だ!!」とのクレームだったり、逆に「よくぞこの日に予定通り試験を実施したのは素晴らしい!!」と賞賛する声もあったりと、左右両方から色々な意見が寄せられたそうです。


当日の私は、何処も開いてないし、天気も悪いので家で寝てた・・・のではなくて、入試の試験監督補助員のバイトが入っていて、やむなく学校まで行く事に。(^_^;;)
試験監督は先生や職員の方が中心なのですが、問題配りを手伝ったり、試験監督として教室で監視したりする補助員が足りなくなるので、学校が学生に案内を出して応募させる、と言うのを毎年やってまして、丁度この日が私のバイト割り当て日だった、と言う次第。


この日は法律で今年限りの休日になっていたそうですが、電車などの公共交通機関は何故か平日ダイヤ。
仕事も店も娯楽施設も片っ端から休みですから、乗っている人なんているわけもなく、いつもは朝のラッシュで滅茶苦茶混み合う電車も、乗ったら超ガラガラ。
そりゃただでさえ乗る人がいないのに、朝のラッシュ時と同様に頻繁に電車を走らせたら、そりゃガラガラに決まってますよね。


と言う事で、普段とはまるで違う異常な雰囲気の中、電車に乗って学校に行き、試験補助のバイト開始。
・・・と思ったら、その日の私は補助員(要は他の学生)に当日欠員が出来た時の予備要員で、用事がなければ待機場所の空き教室で終日座っているだけ(一応バイト料は試験終了後、補助員と同額で貰えるので、試験が終わるまで居るしかない)。


殆どやる事もなく、持ってきた携帯テレビ(当時ワンセグもなく、1.5インチ位しかない超小型TV)で、小さくてよく見えない画面から、大喪の礼をただひたすら見るだけの一日でした。(^_^;;)
その時、当時官房長官だった小渕元総理が、開会の辞を述べようとして、「大喪の礼をきょきょぅ、挙行致します」と思いっきり噛んでしまった事が、何故か印象に残っています。