忘れられない記憶 その3

1月17日、と言う日は、関西地区の方には決して忘れられない日だと思います。
この日、阪神・淡路大震災が起きてから14年が経ちました。
この日も、今でも忘れられない記憶として残っています。


14年前に遡って思い出してみると、当時私は千葉在住。
地震発生は午前5時46分、私は6時頃に仕事へ行くため起きたのですが、丁度TVのニュース速報で、「関西地区で大きな地震が起きた模様」と、この時点ではどういった規模の地震だったのか、東京のTVキー局ではまだ事の重大性が伝わっていませんでした。
ニュースでも大阪や神戸で震度5の地震、火災も発生している模様、と言う位で、ちょっと大きな地震が起きた、位の内容でしたが、実はその時、地震情報や被害状況を伝える通信回線が地震で途切れてしまい、情報が流れてこなかっただけだった、と言う事を知ったのは、何時間も後になってからでした。


因みに地震発生の時、起きていた家族に話を聞くと、何となく吊してある蛍光灯の紐が揺れているかな、という感じで、揺れの衝撃は殆ど感じなかったとの事(千葉は震度1だったそうです)。


勿論首都圏の交通機関は何事もなく平常運転、予定通り職場に着いたら、会社の中は大騒ぎ。
関西の事務所が大変な事になっているとか、関係各所への連絡に追われる人があたふたしていて、いつもは消えている職場のTVが点けっ放しになっていて、見るとあちこちで大火事、崩れる建物や高速道路、高架橋など、想像を絶する程の大災害になっている事を知り、言葉を失いました。
職場では実家が関西にある人もいましたから、そう言った方々も気が気ではなかったです。
結局その日はずっと会社のTVは点けっ放しで、随時流れてくる被害状況に、会社の関係者が含まれていないか、と仕事そっちのけで心配しながら、TVに見入っていました。


以前は関西の人が関東に引っ越してきたとき、一番驚いたのは、とにかく地震が多い事だった、と言う笑い話もあったのですが、この地震で見事にこの話は雲散霧消してしまいましたね。
確かその直前に、同様に比較的地震が少なかった九州や沖縄地区でも地震が発生していて、目立った地震がなかったのは関西だけ。
私も関西は地震が少なくていいなぁ、と漠然と考えていたのですが、そう言う固定観念が根底から覆されてしまったのが、この地震でした。


私は幸運な事に、まだ大規模地震の被害を受けた事がないんですが、こういう災害に逢った時、どうやってパニックに陥らずに被害を防げるか、この日が来る度に思い出します。
地震はいつ起きるか判りませんから、大規模災害の時に得られた教訓を、きっちり身につけて普段の行動に移していく事が重要だと感じます。