ワープロの思い出

引き続き、日本語文字入力についての話。


ワープロが普及するまでは、個人で日本語の文書を作るには、タイプライターでローマ字入力するか、カナタイプの製品を購入するかしか出来なかったわけで、ワープロの発明は画期的なものでした。
最初の家庭用ワープロは、表示行が1行しかなかったんですが、それでも「日本語の活字で文書が作れる!!」と喜んで使っていたものです。


ワープロが市場に普及しだした1980年代後半〜90年代前半にかけて、パソコンはNECのPC-9800シリーズの独占市場、しかも家庭用で買うにはかなり高価。
パソコン間のデータやりとりなんて今では当たり前ですが、会社が違うパソコン同士はデータやプログラムの互換性がなく、プログラムも「○○社パソコン専用」なんて別々に販売されていた時代でありました。
そう言う状態で、ワープロは「手軽に文書を活字で作成できる機器」として、大量に普及していきます。
でもメーカー間のデータ互換はなく、職場では「何処の会社のワープロを最初に買うか」で、その後の購入会社が決まってしまう時代でもありました。


どちらにしても、当時(今も?)のパソコンは、電源を入れてからワープロ機能を使えるようになるまで時間がかかり、作った文書をフロッピーなりに保存しておかないまま電源を切ってしまうと、作りかけの文書は飛んでなくなってしまいますが、ワープロの場合は電源を入れるとすぐ動き出し、保存処理をしていなくても、前に作っていた文書をそのまま表示してくれる便利さもありました。


が、その後Windows95などの登場に合わせる形で、1990年代後半、各社のパソコン基準がほぼ統一され、メーカー問わずデータやりとりが出来るようになるのとほぼ同じくして、企業や個人で、パソコンの普及とWebやメールを中心としたインターネット環境の普及が爆発的に進みました。
その後、Web参照、メール送受信が自由自在なパソコンが低価格化し、ワープロ機能以外にも、ソフトを入れてしまえば色々な用途に使え、必要に応じてソフトのバージョンアップが出来るパソコンの長所が目立ち始め、文書を作るだけでしか使えず、バージョンアップも出来ないワープロの分が悪くなり、徐々に用途が狭まって、各社とも製造を中止し、既にワープロ専用機は生産されていません。


が、文書を手軽に日本語で活字化できる世界を切り開いたワープロの貢献は、今でも非常に大きかったと思っています。


現在、ワープロで培った変換技術は、携帯の文字変換機能に応用されているわけですから(携帯製造メーカの多くが、ワープロ製造の経験を有しています)、現在にも脈々と受け継がれています。


日本語を日本語の文字で手軽にやりとりできる、と言うのは当たり前のように感じてしまいますが、こういった先人の努力があったからこそ、今では簡単に日本語の文書を作る事ができるわけで、大いに感謝せねばなりますまい。