20年の、感謝を込めて。

昨日触れた、「南海ホークス最後の試合」に触れるとしましょう。
あれから20年、月日は確実に経っていくものですね。


私自身、リーグ制覇を何度も繰り返した、強かった頃の南海ホークス、と言う時代を、リアルタイムでは見ていません。
私が目にしたのは、いつも最下位あたりをうろうろしていた弱いチーム、と言う時代でした。


私がホークスに関心を持ったのは、学生時代お世話になった先輩がホークスファンで、その先輩に後楽園や所沢、川崎などへ連れて行って貰っているうち、気づいたら応援するようになっていた、という感じでしょうか。


球場、という現場で、ホークスを応援するようになった大きな理由は、いくつかあります。


球場もガラガラで、応援する人もまばらだった時代、自分が加わって少しでも応援する頭数を増やそう、と言う気持ちになったこと。


球場に行くうち、ファンが少ないのでいつも球場に来る人たちと顔なじみになり、そう言う方々が温かく迎えてくれたこと。


そして、当時は西武の黄金時代。
優秀な戦力をそろえ、点数が必要な時にはきっちり得点し、失点できない時にはきっちり抑え、まるで精密機械のように正確な試合運びをしていた西武に対し、片や南海は肝心な時に凡退し、チャンスで失敗し、肝心な時にエラーはするわ打ち込まれるわ・・・と言うチームの姿に、妙に人間味を感じたことです。


失敗するのが人間、完璧な奴なんていやしない。
そう言う「人間味あふれる人たちが野球やってる」姿に、惹かれてしまった自分がいたんです。
だからこそ、身売りされてチームが消えてしまうことは、滅茶苦茶辛く、悲しい出来事でありました。


話を現地に戻します。
あの「10.19」から一夜明けた川崎球場
最後の試合は、是非この目で見ておきたいと、川崎球場に向かいました。
この日が、南海ホークスとしての公式戦最終試合、と言うことを知るファンは、決して多くなかったと思います。
前日は満員札止めだったそうですが、この日はホークス最後、と言うことで外野席の観客がちょっと多かったかな、と言う程度。


しかも、この日はロッテの今シーズン本拠地最終試合で、外野スタンドは無料開放していたにもかかわらず、客足は伸びず、主催者発表で8,000人。
当時は観客水増し発表なんて当たり前でしたから、実数はせいぜいその半分位が良い所だったんじゃないですかね。


違うのは、一応南海ホークス最後の公式戦、と言うことで、新聞記者が外野スタンドで応援するファン達を写真に撮っていた事ぐらいでしょうか・・・。


肝心の試合内容、ですが、一応記録には残っています。
(南海攻撃分)


(ロッテ攻撃分)


選手も同じだったか判りませんが、ファンの方はもう身売りに関する流れを止められないことは最早受け入れざるを得ず、関東では10日前の西武戦、関西では15日の本拠地最終開催(近鉄戦)で涙した後は、もう吹っ切れたのか、最後は笑顔で見送ろう、と言う人が多かったように思います。
かくいう私もその一人。(^_^;;)


試合は残念ながら5対3で敗戦、最後を飾ることは出来ませんでした。
因みに伊良部君が公式戦初セーブ、試合後「永野さんのプロ入り初勝利を消す訳には行かないので、必死で投げた」と、現在ではおおよそ考えられない(^_^;;)殊勝なコメントを残しております。


でも、試合の細かい経過は、長くなるのでとりあえず記録を見るとして・・・・。(^_^;;)
ただ、最後のワンシーンだけは、今でも忘れられません。


9回表、2死無走者、バッターは畠山選手。
1-1からの3球目、打ったボールは、当たり損ないでバッターの足下にポトリ。
当然ファウルだろうと誰もが思い、打席の畠山選手もそのまま。
その時、転がったボールを拾ったキャッチャーに向かって、球審が一言。


「フェア!」


キャッチャーはファウルと思って突っ立ったままの畠山選手にタッチして、そのまま試合終了・・・・・。


ホークスファンはただただ呆然として、何が起こったのか判らないうちに、この日が本拠地最終戦のロッテ選手達が速攻でグランドに集合し、「本拠地最終セレモニー」だとかで、強引に幕引きされてしまいました。
もう南海最後だとか、球場で感慨に浸る余裕すら与えて貰えず、完全に不完全燃焼で終わってしまった、最後の試合でした。


でも、こういう「締まらない終わり方」って言うのが、むしろ南海らしくて良かったのかもしれません。
下手に勝ってしまったら、何だか格好良すぎて似合わなかったでしょうね、きっと。


肝心な所で勝てず、最後打ち取られるとか三振とか、余韻の残る終わり方をせず、何だか判らないうちに終わってしまった、と言うこと自体、最後の最後まで、南海ホークスは「本当に『人間味あふれるチーム』であり続けてくれた」チームでした。


身売りして福岡に移っても、弱かったのは相変わらず。
優勝争いにも絡めなかった時代、「せめてマジック対象チームになってくれれば・・・。」なんて本気で仲間内と囁き合ってたんですから。
11年後、ホークスがリーグ優勝〜日本一へ駆け上がる姿など、当時は勿論誰一人として想像も出来ませんでした。
実際に日本シリーズが福岡Dで初めて開催された時、運良く切符が手に入って、福岡Dで観戦できたんですが、こんな経験なかったですから、記録帳の試合欄に「日本シリーズ」と書くだけで手が震えましたよ(笑)。


とか何とか私も偉そうに書いていますが、実際問題「南海ホークス」時代、私の個人的ルール(要は記録して観戦)で「観戦した」と言える試合は、たった7試合しかありません。
勿論記録するのを覚える前に行った試合はありますが・・・・。
どちらにしても、南海ホークスとして観戦した試合が増えることは、最早ありません。


だけどほんの僅かではありますが、南海ホークスと出会い、試合を現場で実際に見ることが出来たのは、当時を生きた者として、本当に幸運だったと思います。
この「人間味あふれるチーム」があったからこそ、現場観戦の楽しみを知り、現在に至るまで球場通いを続けるきっかけを与えてくれたんですから。
そしてホークスファンと言う縁で、その後多くの人たちとも知り合うことが出来ました。
こういった交流の輪が広がったのも、やっぱり元々はこのチームがあったからに他なりません。


7試合だけでしたが、「南海」というチームに出会えた事に感謝して。


ありがとう、南海ホークス