夭折の中継ぎエース その2

藤井選手の訃報、と言うのは、球団にとっても、ファンにとっても、あまりに悲しい結末となってしまいました。


何らかの形で、彼の功績を残しておくには何が良いか、と球団が考えたのは、彼の付けていた「背番号15」に因み、福岡ドームの内周通路から座席への入口となる通路のうち、「15番通路」を「藤井通路」として、彼の生涯成績と、彼が出会った全ての人達に対して残したメッセージボードが掲げられています。
また、球団も彼の功績とファン感情を考慮して、以降「背番号15」を付ける選手はなく、実質欠番となっています。


私自身、福岡へ遠征した際は、必ずこの通路まで行って、彼の功績を偲ぶ事にしています。


こちらが彼の生涯成績を記したボード。


こちらが亡くなる直前、まるで覚悟していたかのように、彼の出会った全ての人々に対して残したメッセージです。


写真だと見づらいので、本文は以下の通り。

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皆様へ


今の自分があるのは、過去から現在において出会ったすべての人のおかげだと思います。その中の誰一人がかけても、今のこの幸せな自分は存在しませんでした。だから、すべての人に感謝しています。


プロ野球選手はまわりの人々に夢と希望を与える職業だという人がいます。でも、ボクは逆です。たくさんの人から夢や希望、エネルギーをもらってきました。そのことがうれしかったんです。


6年前の入団発表のとき、王監督を胴上げしたいと抱負を述べました。その願いも昨年のリーグ優勝と日本一で無事に達成できました。そして、今年はチーム全員で頑張ってつかんだV2。すばらしい野球人生だったと胸を張れます。


この病気には自分自身、すごく勉強させてもらいました。孤独や優しさ、思いやり、不安。人間の本当の感情に触れることができました。今までのボクは上っ面のとこしか見えてなかったんだなとも思いました。すべてはこの病気が教えてくれたことです。


この一年間、ゆっくりと休ませてもらいました。あらためて野球を頑張ろうという気持ちにさせてくれた中内正オーナー代行はじめ球団の方々、王監督、チームメートの皆、感謝の気持ちは忘れません。そして、生きる希望を与えてくださったファンの皆様、ありがとうございました。これからもダイエーホークスを応援してください。


藤井将雄

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この一文を読むだけで、かつて彼が活躍していた時の姿を思い出し、今でも涙がこみ上げてしまいます。


今年福岡に行った時、上の写真を撮っていたら、小さい子連れの若いお母さんに、この人はどういう人だったのか、と聞かれました。
10年前にホークスが優勝した時に大活躍した中継ぎ投手で、病気で若くして亡くなってしまった選手である事を説明したら、「あぁ、そういう人がいたんですか・・・。」と、彼の事を本当に知らなかった様子。


確かに没後9年、時間の経過と共に人々の記憶は薄れていきますし、上記のお母さんのように、藤井君の没後からホークスファンになった人は、彼の事を知らない人がいても不思議ではありません。


だからこそ、彼の活躍をリアルタイムで見た世代の人間が、藤井選手の活躍を決して忘れることなく、ホークスにはこういう素晴らしい選手がいた事を、後々のファンに伝えていく事が、当時からのファンとして出来る、せめてもの供養ではないか、と考えています。


有り難う、藤井君。