夭折の中継ぎエース

ちょっと過ぎてしまいましたが、9年前の10月13日、一人の投手が、現役選手のまま亡くなりました。


彼の名は、藤井将雄君。


今でこそ当たり前ですが、当時はまだ少なく、先発や抑え投手より評価も低かった、中継ぎ投手のエースとして、平成11年(1999年)、ホークスの26年ぶりとなるリーグ優勝に大きく貢献しました。


当時、工藤投手がエースとして活躍していましたが、試合中のミスなどで叱られて、萎縮したり落ち込んでしまった若手選手のフォロー役として、観客の見えない所でも、チームに貢献していたそうです。


翌シーズンも中継ぎエースとして活躍する事を期待していたのですが、なかなか一軍に上がって来ないのでどうしたのか、と思っていたら、肺炎にかかってしまったとの事。


それでも1ヶ月過ぎ、2ヶ月が過ぎても昇格の話はなく、肺炎の割にはやけに時間かかっているなぁ、と思っていたら、肺炎と言っても「間質性肺炎」と言う難病だそうで、治るには時間がかかるとの話を聞き、早く良くなって欲しい、と思っていました。


が、本当は肺ガンだったのです。


本人の生きる希望を失わせないよう、この事実は公にされず、御家族とほんの一部の球団関係者、王監督、若田部君などの極々親しい選手にしか知らされませんでした。
この事が公になったのも、彼が亡くなってからです。


それでも選手達はシーズンを彼と一緒に戦っているんだ、と考え、ハリーホークのぬいぐるみに「15 FUJII」のユニホームを着せ、ベンチに置いていたのだとか。
この年、ホークスはパ・リーグを連覇しましたが、胴上げの輪に「15 FUJII」のハリーホークが、選手達に抱えられて加わっていました。
私も感動しましたよ。


その時、この光景をTVで見ていた藤井君は涙が止まらなかったそうです。


そして、この光景を見届けたのか、直後に容体が悪化し、帰らぬ人となってしまいました・・・。(T_T)


享年31歳、その早すぎる死に、多くの人々が悲しみ、かく言う私もその一人。


亡くなったのが丁度平成12年(2000年)の日本シリーズ直前。
弔い合戦、と行きたかった所ですが、残念ながら2勝4敗で巨人に敗退。
私自身、第6戦を現地観戦し、ON対決の結末である「長嶋監督胴上げ」と言う歴史的瞬間をこの目で見る事となってしまいましたが(超弩級的苦笑)、試合後巨人ファンからの「藤井コール」は嬉しかったですねぇ。


藤井君にまつわる話は、もう少し続けたいので、この後で・・・。