西武球場での思い出

今日、巨人が優勝決定しました。
13ゲーム差をひっくり返しての優勝、だそうで、よく諦めず戦い続けて、ひっくり返したのは見事ですが、その前に何で13ゲームも離されちゃったのか、と言うことを考えた方が良いのではないでしょうか・・・・。


と、言うことで、今日は元はと言えば体育の日。
丁度44年前は、東京オリンピック開会式。
私はリアルタイムでは知らないのですが、その時の盛り上がりは凄かったらしいですな。
同じ日に、南海と阪神日本シリーズがあって、南海が日本一になったそうですが、東京オリンピックの煽りをもろに喰らって、殆ど盛り上がらなかったんだとか。


個人的な思い出ですが、20年前の今日、私は西武球場で西武対南海の最終戦を見に行ってました。
もう既にダイエーへの身売りは決定していて、来年から南海ホークスとしての試合は最早望むべくもない状態。


この日が、西武球場では南海最後の試合でした。
ホークスファンも集まった・・・とは言っても、元々少ないのにいきなり大勢になる訳はなく、周りを西武ファンに完全包囲され、非常に小さく纏まって応援せざるを得ない状態。
当時、西武以外のパ・リーグファンは、「西武だけは倒さなければならない相手」という意識で纏まっていて、西武戦最後を飾りたい、と言う他、西武の優勝を何としてでも阻止して欲しい、という思いで応援してました。


試合の方は追いすがる西武を突き放しながら、4対2で迎えた7回裏。
先発加藤伸投手が無死1,2塁のピンチを迎え、井上投手に交代。
犠飛で1点差に詰め寄られてから、迎えた打者はバークレオ選手。
2-3から迎えた6球目、勝負球が甘く入った所を狙い打たれて、逆転3ラン・・・・。


結局そのまま6対4で西武の逆転勝ち。
西武を止められなかった悔しさと、南海ホークスが身売りして消滅してしまう、と言う悲しさで、ファン一同、試合終了後も涙に暮れていた事を覚えています。
身売りされて福岡に行ったらどういう事になるか、あの時は誰も判りませんでしたし、そう言う不安もあったんじゃないかと思っています。


結局、昭和と共に南海ホークスは消滅。
私自身ホークスファンとなって、南海時代に応援していた時代は、今現在までのファン歴からすれば、ほんの僅かな時期にしか過ぎません。
だけど、その時の思い出は、20年経った今でも、忘れがたい記憶となって残っています。
今と比べると、誰も来ていなかった分、好き放題騒いだり叫んだり野次ったり出来ましたし。
そんな時代を少しだけですが、現場で見ることが出来て幸運でした。


その時の思い出話(とは言っても、そんなにネタがある訳ではないんですが)は、また機会のある時にでも。