忘れられない記憶 その2

先月、23年前の日航ジャンボ機墜落事故の話をしましたが、この日も忘れられない記憶として残ってしまいました。


2001年(平成13年)9月11日、世界を震撼させた同時多発テロが発生した日です。
それから7年、短いようで長いような、月日の移り変わりを感じます。
こちらは記憶に新しい方も多いかな?


先月も書きましたが、こういう大事件、大事故のあった日は、その時自分が何処で何をしていたか、何故か記憶に残ってしまうんですよね・・・・。


私はその時仙台在住、仕事で山形に行っていたんですが、運悪く台風直撃で周囲の道路が軒並み通行止めになり、普段行く道から大きく遠回りせざるを得なくなってしまい、普段なら1時間半で着くはずが、この影響で3時間以上かけて戻る羽目になりました。


帰ってきたのはその日の夜遅く、明日も山形に行くことになっていたので、通行止めや被害状況がどのくらいか、早速テレビをつけて台風情報を見ようとしたら、画面には大穴が空いて燃え上がるビルの姿・・・。
これだけ台風の被害が出ているのに、台風情報が出てこないのを不思議に思っていましたが、台風情報を見逃したらいけない、と思い、ずっとTVを見ていました。
それがニューヨークの世界貿易センタービルと言うことは、暫く見ていて状況を説明するアナウンサーの話でようやく理解。
此処までは、飛行機がぶつかるとは、えらい事になったなぁ、と言う程度でしたが・・・。


なかなか台風情報が始まらない中、それでも待ちながら見ていたら、中継画面でツインタワーが崩壊する瞬間を目の当たりにしてしまい、でも最初は映画の一シーンのようで実際の出来事だと思うことが出来ず、なかなか現実だと受け入れることが出来ませんでした。
そして米国国防総省への激突、米国国内での墜落、と信じられないような事が次々発生。


もうその後は台風情報など、どうでも良くなってしまい、ずっとTVにかじりついて、被害状況がどうなっているのか、夜遅くまでずっと報道特番(各社番組を切り替えて放送)見続けていました。


翌朝、気づいたら携帯に、携帯会社から「緊急情報」と言うことで、この事件のニュースメールが届いてました。
普段何か事件や事故、災害があってもこういったメールが来ることはなかったので、非常に驚いただけでなく、携帯会社も衝撃を受けているのか、と感じた次第。


結局翌朝になって台風は過ぎ去り、通行止めも解除されていて、予定通り仕事に行くことは出来たのですが、次は日本国内で起きるんじゃないか、と気が気でない一日でありました。


このときから、「テロとの戦い」、と言う言葉が謳われ始めました。
確かにテロリストは許される存在ではありませんが、世界中で連中による事件は何故消えないのか?
今でも考えされされる事件です。